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帰省2日目

1号2号を残してきての今回の帰省の一番の心配ポイントは、今日の朝2号が起きられるか否か。
防災訓練で7時半に集合なんだもの。
町内会からの要請で駆り出される中学生が集まらず、剣道部の遠征がないことを確認したうえで顧問の先生に稽古の時間を変えてもらってようやく人数確保したので、役員の片割れとしては自分の子どもが遅刻する愚だけは犯してはならない。
6時半に電話をすると、「起きてるよ!」と自信満々で返事が返ってきて、ホッとする。
しかし集合時間ぎりぎりになって、他の参加者のお母さんから「雨天決行?」と連絡が入り、慌ててあちこち問合せ。
中止決定の知らせを受けて、もう一人の役員さんがあちこち連絡を買って出てくれる。
2号、あなたも出なくていいよ!中止だよ!と電話をするが、携帯にもイエ電にも全く出てこない。
あぁ、お昼用にコンビニおにぎり買ってから行くと言ってたから、ちょっと早めに出たんだな…。
集合場所で中止の連絡をもらったらしく、帰ってきてからようやく捕まる。

1号の方は、紛失したから昨日買いに行くと言っていたマウスピースは旨い具合に見つかったので、今日の試合には心配なく出られるらしい。

こちらは昼前に墓参り。その後親戚に挨拶をして帰宅。帰りは常磐道周り。相馬のパーキングエリアとかその辺で、ホッキ飯のモトとかラーメンとか買って帰る。

避難区域は降りれないけど通れる。街灯しかついていない区域、街灯もほとんど見えない区域。高速の脇にも見える位置に積み上げられている汚染土。瓦が落ちたままの家とか、破れ放題になってるビニールハウスも、まだある。ここは時が流れないままだなぁ。

? posted by Yumikoit at 11:08 pm

山元の復興いちご「もういっこ」

4年目の春。今年も届きました。

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絵手紙はおばあちゃんから。1号が感心して眺めておりました。
相変わらず、山元町の復興いちごLink は素晴らしく甘く美味しい。
今日はヨーグルトをかけて食べました。

? posted by Yumikoit at 03:45 pm commentComment [2]

3年経って…

今年は例年よりも早く、届きました。

NCM4671

NCM4673


今年はひときわ大きく、立派な復興いちごです。
どのくらい大きいかというと、1パックに8個しか入ってない。
そのくらい、1個が大きいのです。なんて立派な。

奇しくも、ちょうど3年目。味わっていただきました。

? posted by Yumikoit at 09:54 pm

石と花火と流星群

1号が昼過ぎから、庭で化石掘りをしている。
うちの実家の庭は、表面は庭土を外から運んでいるのだが、元々あった砂岩のある場所の岩を割ると、貝塚の貝の化石が結構見つかるのだ。
「おじいちゃーんー。化石を割る何か道具とかない?」
と結構盛り上がっている。

自由研究にでもするつもりなのかねぇ。
「いや、自由研究は理科の宿題として出てるから無理。貝塚だとどう見ても社会科だろっ」
あー。そうかもしれない。

夜は外に食べに行って、帰りに松島の土産物屋をあちこち覗いて帰ってくる。
五大堂って実は初めて行くかもしれない。
「あ。そういや俺も初めてだ」
と飼猫氏。へぇ。県南で育ったあたしと比べて松島に行く頻度は飼猫氏の方がよっぽど多かったように思うんだけどな。

行きは電車だったんだけど、帰りは歩いて帰ることになる。一駅だけだしね。

ずいぶん歩いたところで実父が声を上げる。
「あちゃー。ここのアイス屋狙いで歩いてきたのに、もう閉店時間かっ」
そういや途中の伊達政宗の記念館も7時閉店だったし、途中の土産物屋も軒並み7時閉店だったね。
この辺は7時閉店が主流なのかー。あ、ここも全部シャッターが下りてる。
「いや、ここは津波をかぶったから、1回は全部閉まってるんだ」
あ。やっぱりまだそういうところが残ってるんだな。
道路は陥没してるところとか、幹線道だけかさ上げして明らかに横道が沈下しているところとか多少あるからわかるんだけどね。

お茶して帰りたいなら、この先一の坊Link壮観Link もあるからそっちの喫茶ルームが使えるんじゃない?
そう思って一の坊に行くと、こちらも食べるのは宿泊客以外は7時までという。ならば壮観だと壮観に行く。
津波のあと、温泉を無料開放してたのってここだって言ってなかったっけ。
「そうそう。水道はずっと使えなかったから、とても助かったのよね」
と母。かけ流しの源泉が解放されていて、ちょっと熱かったがそれがまたよかったらしい。
「ここのホテルは、地震で屋根なんか半分も落ちてね。そんな中でお風呂だけ解放してくれたのよ」
へぇ。よかったねぇ。
ホテル横手にある喫茶がいいんだ、と父がそちらに回るがそこで何やらホテルの人と話をしている。
やっぱり7時まで?
「いや、地震のあと結局喫茶ルームは完全に閉店して使ってないそうだ」
そうなんだ。松島は被害が少なかったといってもまだまだこういうところが残ってるんだな。

仕方ないのでコンビニでアイスを買って家に戻ってみんなで食べる。
おじいちゃんが買ってくれてた花火、今日やらないとやる時ないよね。
というわけで、外に出てみんなで花火。ついでに流星群観測。
芝生の上に仰向けになって寝っ転がって、上を眺めていると結構流れてくる。
大きな二つの流星が、同じ方向から並んで大きく空を横切って行った。
あれなら十分、願い事が言えたはず。

? posted by Yumikoit at 10:44 pm

夕方の地震

夕方。少し早めに夕飯の仕込みをしようと台所で包丁を握っていたら、普段聞きなれない携帯のアラームが鳴った。テレビも何やらどっかで聞いた警報音を出している。
思わず駈け寄ったら、緊急地震速報だった。

台所に戻り、火を使っていないことを確認して、ついでにファンヒーターも使っていなかったことを確認する。

1号、1号、地震が来るよぉぉ。
子ども部屋から1号が出てきた。

まだ揺れてないけど。携帯を見ると震源地は三陸沖という。それで関東圏でこれが鳴るのか?
悪い記憶がよみがえるよな、これ。
ゆっくりそれはやってきて、激しくはないが長周期で少し長い時間揺れた。
3.11ほどじゃないけれど、じわじわと怖さがやってくる。

2号が、貸出し期限切れてた本を返しに、図書館に出かけてるんだよな。
「だいじょぶじゃね?」
と1号が言う。
うーん。まぁそうなんだけどね。もう外も暗くなり始めてるし。

一応念のため、仙台と松島に電話を入れる。
松島は1回目は話し中、多分これってもう通信規制がかかってるんだろう。仙台はすぐにつながってほっと一安心。もう一度松島に電話を掛けるが、もう呼び出し音すら鳴らない。
田舎の友達からは無事を知らせてくれるメールが入り、こちらも一安心。

どうしようかな、2号。まだ帰ってこない。
「おれが留守番してるから、2号が帰ってきたら電話するよ」
…申し出はありがたいが、そもそも電話が頼りにならないんでな。

間もなく2号が帰ってきた。よかったぁ。

ほどなくして会社の飼猫氏からもメール。返信するが、届かなかったらしく電話も来た。
松島とはまだ連絡取れないんだけどね。メールは父にも母にもしたから連絡待ちだね。

そう言ってたら、母からメール。その後、電話が来て、母と父との間も電話連絡がついたことが確認できた。
うん。結果オーライ。とりあえず安心。

帰ってきた2号が言った。
「大きな地震は、金曜日にやってくるね」
いや、そうとは限らないしぃ。

? posted by Yumikoit at 10:17 pm commentComment [1]

山元のイチゴ。

ホワイトデーである。

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毎年、田舎にもバレンタインデーのチョコレートは贈っているのだが、去年は
「ホワイトデーにクッキーを贈ろうと荷物を詰めてたら、地震が来た」
と結局1カ月遅れで田舎からクッキーが来た。
「郵便局も宅配も送れないみたいだから、震災後の非常食としてありがたく頂いた」
とは田舎の弁である。役に立ったのはありがたいことだったが、おかげで2回買ったわけだな。かえって気を遣わせた気がする。

飼猫氏の実家は、加えてこの季節毎年苺を送ってくれるが去年は
「いつも苺を買っている農家が津波でやられて、今年からはしばらく送れないと思う」
と言われた。

その苺が、今日、クッキーとともに届いた。
イチゴ農家4軒で津波をかぶった田んぼの上にビニールハウスを建てて1年かけて再興した苺Link である。
例年よりも赤く、粒も揃っている気がする。
故郷復興の味。大事に食べよう。

? posted by Yumikoit at 07:55 pm commentComment [2]

今年のおせちは。

毎年、伊達巻きと紅白かまぼこは仙台のモノをおせちに詰める。
今年は「ささ圭Link 」のかまぼこ。

ここも津波で、閖上の事務所も3つある工場も全て流れたそうだ。
名取市内の店舗敷地内に工場を作り、工場直営店舗として生まれ変わったという。

心して味わおう。うん。

? posted by Yumikoit at 11:36 pm

野蒜。奥松島。

東松島、と呼ばれるようになったが、私にとってはやっぱりまだ奥松島である。

帰省も最終日の今日は昼前に仙台の飼猫氏の実家に帰り、午後はお土産を買いに出かけて、夜ごはんと風呂をいただいた後で夜間クルマを走らせて家に帰るという日程だ。
仙台に2泊、松島に2泊というのも毎年恒例だが、友人知人に全く会える日程が取れないのは何年かぶりである。
みんな大変な年であったはずなのに、不義理をして申し訳ないとも思う。

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さて、松島から仙台は有料道路を使うのだがちょっと回り道をして奥松島経由で有料道路に入ることにする。
東松島に帰省したマイミクさんの日記でも読んでいたので覚悟していたのだが。
電車が復旧しているのは、松島までだ。
それより奥は、まだ開通の見通しすら立たない。
国道45号線に沿って海際の山筋を抜けていくと。
いきなり、開けた住宅地がすべて冠水していたのを見て言葉を失う。

名取の閖上荒浜方面のときには、目に痛いほどの緑が5カ月という時間を感じさせて痛々しいほどだったが、こちらはまだ家の中に廃材の見える家屋も多く、流された駅も送電線も曲がったままだ。
5か月という時間で片付けられなかった箇所も多く、ぽっかりとあいた窓の奥の家の中があまりにも哀しすぎる。
基礎しか残らない家、積み上がったがれきの中に、片付けられていない家も点在する。

? posted by Yumikoit at 10:05 pm

桂島。

昨夜は恒例のバーベキュー。幸いうちの実家も被害らしい被害もなし、帰省中は例年恒例で行っていることをできるだけ普通にやろうと父も思っているようだ。
庭先にバーベキューセットを開いて肉を焼き、みんなで食べる。
夜は花火。子どもたちは次から次と花火を取りに来る。

今日は桂島に船で行って、釣りをするという。
去年は松島の岸壁で釣りをしたが、兄一家はここ数年桂島で釣りをしているらしい。
いつも1泊しか日程が重ならないので我が家がここに参戦するのは初めてである。
というかできるんだろうか…というと父は船は普通に出ているし、大丈夫じゃないかと言う。

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塩釜から市営の巡航船に乗る。
マリンゲートの周りも水が被ったらしく、駐車場側は地面に貼られたタイルが崩れていたり、建物との間に亀裂が入ったりしている。駐車場と道路の敷居の境も、土嚢が積んであったりする。
近くには、天地逆になった船が打ち上げられたままになっていたりした。

「電車もな。復旧してしばらくは、線路の両側に船が打ち上げられている状態での運航だった」
とは父の弁。

マリンゲートから船に乗り、桂島に行く。
ここもだいぶ津波が来たらしいが、亡くなった人はいないという。
船着き場の周りには土嚢が積んであり、すぐ近くに待合室らしい建物があったが道路との境に亀裂が入り、路面は激しく歪んでいる。
こんな年だからか、釣り糸を垂れている人は他にいない。
前の晩に父と兄が作ってくれた仕掛けを使って糸を垂れる。

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例年は結構な魚がとれたと言うが今年は全然かからない。
午前中ずっと一か所で粘るが申し訳程度に2,3匹ハゼがかかったのと(いや、ハゼ釣りに来たからいいんだけど)、母がクサフグを釣ってすぐに逃がしたくらいで。
私は大きな網を引っ掛けてしまい、仕掛けごと切る羽目になる。

待合室らしい建物で弁当を広げてから、午前中の釣り場とは別の場所に移動してまた再開するがさらに全くかからない。仕方ないので午前中に釣り糸を垂れていたところにもう一度移動して船の時間くらいまではここで釣ろうという話になる。

そういや船の時間だけで釣りに来たけど、干潮だったんだじゃないだろうか。
いつの間にか段々潮が満ちてきている。ふと気がつくと、午後の前半に釣り糸を垂れていたところはあっという間に水に沈んでいまい、さっきご飯を食べていた建物の周辺も道路は水浸しになってきている。
やばいんじゃないの、と荷物を持って船着き場に移動。
最終的に船着き場に上がる桟橋の両側に積み上げられた土嚢の上しか通れないほど水が上がってしまった。

…これが満潮冠水という状況か。

帰りの船に乗り、塩釜のマリンゲートに着くと駐車場近くに積まれた土嚢のすぐわきの排水溝からも水がごぼごぼと噴き出していた。
松島も場所によってはやはり満潮冠水のある場所が多く、近辺に住んでいる人は大変らしい、と母が言っていた。

? posted by Yumikoit at 10:25 pm commentComment [2]

地震の跡その参

さて、帰省3日目。

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午後から松島の私の実家に移動する。
実家には兄一家がすでに到着しているはずだ。

昨日は南下した閖上街道・県道10号線を今度は仙台新港に向かって北上Link する。

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昨日の日記にも書いたが、この閖上街道に亘理近辺から入り、仙台新港まで一気に抜けるというのが学生時代の私の通学ルートだった。
そちら方面に勤める義妹が
「あたしも、今は(通勤は)有料道路使ってるから分からないけど、通行規制がまだかかってる可能性が高いよ」
と言ったが、とりあえず行ける所まで行こうと通ってみる。
途中、地元に住む人だけが通っていいという内容の立て看板があるところがあったがそのまま入って行くと新港まで通じているようだ。


NEC0203

閖上街道沿いの荒浜地区をはじめとするこの地域には、津波により300以上の遺体が流れ着いたという。

「…なんにも残ってないじゃん」

いくつかあったはずの集落は建物の基礎しか残ってない個所も多く、海までの光景をふさぐものが何もない。
ガソリンスタンドも鉄骨が折れ曲がり、廃墟と化している。
こんなにも変わるものだろうか。
青々と芽吹くかつては田んぼだったところに生える草がかえって痛々しいほどだ。

仙台新港を抜けて多賀城から国道45号線に入る。
この辺もだいぶ水が上がったはずだが、波の勢いはさほどではなかったのだろうか。テレビで何度か中継されたはずのイオンや自動車が大量に流出したはずの自動車工場。一見すると分からないが陰に回ると倉庫のシャッターが歪んでいたりする。

塩釜〜松島に入る。
内湾になるので津波の衝撃を感じる箇所は一気に減るが、それでも波の通り道になったと思われる箇所には船が残っていたり1階の窓ガラス部分にべニヤが貼り付けてあったりした。

? posted by Yumikoit at 10:27 pm commentComment [2]

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